☆エルサレム (3) <城門、神殿の丘>
●城門…エルサレムの旧市街は、神殿の丘と、大きくキリスト教徒地区、ユダヤ人地区、イスラム教徒地区、アルメニア人地区に分けられ、全長約4kmの城壁で囲まれている。今日見える城壁は、オスマントルコ帝国時代のもので、8つの城門がある。
●神殿の丘…アラビア語でハラム・アッシャリフ(高貴な聖域の意)と呼ばれる。旧市街の南東に位置し、2千年前にユダヤ教の神殿のあった場所で、イエスもたびたび訪れたとされる。現在は、岩のドームやエルアクサ・モスクなどイスラム教の建物が並んでいる。
<黄金門> 城壁の東側、ケデロンの谷に面し、唯一閉ざされた門。伝説によると、終末の日に救世主(メシア)が軍勢を引き連れてこの門から入城するのを防ぐため、イスラム教徒が閉ざしてしまったと言われている。また、イエス・キリストがエルサレムに入城した門とも言われている。 |
<ステパノ門> 城壁の東側の門。聖ステパノの殉教がこの門のそばで行われたと言われる。また、怒れるライオンがオスマントルコのスレイマン大帝の夢の中に出てきたという伝説から別名ライオン門とも呼ばれている。 |
<ヘロデ門> 城壁の北側の門。ヘロデ大王の子ヘロデ・アンティパスの住居が近くにあったという伝承からヘロデ門と呼ばれる。門の上には、菊の紋章に似たレリーフが刻まれており、花の門とも呼ばれている。 |
<ダマスカス門> 城壁の北側中央の門。シリアのダマスカスに通じているところから名前が付けられた。8つの門の中で最も美しく、またアラブのスーク(市場)の入口にあたり最もにぎわっている。 |
<新門> 城壁の北西の門。8つの門の中で一番新しい。キリスト教徒地区の入口にあたる。 |
<ヤッフォ門> 城壁の西側の門。港町ヤッフォへ続いていたのでヤッフォ門と呼ばれている。昔は物資を運び入れる門として活躍した。 |
<シオン門> 城壁の南側の門。シオンの丘へ通じる。ダビデの墓が近いことから預言者ダビデの門とも呼ばれる。独立戦争当時の弾痕が無数残っている。 |
<糞門> 城壁の南側の門。町の汚物がこの門を通って捨てられたので糞門と呼ばれるようになった。嘆きの壁へ行くにはこの門から入ると近い。 |
<旧市街のスーク> 旧市街の中は細い道が迷路のようになり、小さな店が軒を連ねている。左はダマスカス門を入ってすぐの野菜のスーク。右は衣服や食料品のスーク。ヴィア・ドロローサはこの中を通っている。 |
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<神殿の丘> オリーブ山から見た神殿の丘(拡大写真)。右は黄金色の岩のドーム、左は鉛色のドームをもつエルアクサ・モスク。 |
<エルアクサ・モスク> 神殿の丘で岩のドームと対をなすモスク。”エルアクサ”とは「最も遠い地」の意。8世紀に最初に建てられ、エルサレムのイスラム教徒にとって最も聖なる寺院となっている。 |
<岩のドーム> 691年にカリフ・アブドュル・マリクが建てた。預言者ムハンマド(マホメット)が、天使を従え天馬に乗って昇天したといわれている巨大な聖岩を守るために建てられたので「岩のドーム」と呼ばれる。ユダヤ教徒は、ここをアブラハムが子イサクを神に捧げようとしたモリヤの丘だとしている。内部の岩は、世界が創造されたときの「基礎石」とされ、エルサレムの中心、すなわち世界の中心としている。新約聖書では、イエスが十字架上で息を引き取ったとき、この場所にあった神殿の至聖所の垂れ幕が真二つに裂けたと言われている。ドームが現在のような金メッキのアルミ板になったのは1964年のことである。2006年5月現在、岩のドームとエルアクサ・モスクには、イスラム教徒以外の一般観光客は入ることができない。 |