☆エルサレム (4) <嘆きの壁、新市街>
●嘆きの壁…70年ローマによってユダヤ教の神殿は破壊されるが、その時に部分的に残ったのが神殿を囲む西側の外壁である。これが嘆きの壁と呼ばれる部分で、別名「西の壁」とも呼ばれる。神殿崩壊後ユダヤ人は流浪の民となったが、毎年1度この壁に来て自らの帰郷を祈るようになった。また、夜露に壁が濡れて泣いているように見えることから「嘆きの壁」と呼ばれるようになった。現在この壁にはどの宗教の信徒でも自由に詣でることができる。
●新市街…旧市街の西側一帯が新市街。旧市街とは雰囲気ががらりと変わり、欧米の街並みが広がっている。新市街には、国会議事堂や買い物客でにぎわう繁華街がある。
<嘆きの壁> 現在の壁の高さは21m、長さは60m。地中にはまだ17段の石が埋まっている。祈祷所は、男性が左側、女性は右側と分けられている。男性は頭を覆うものがなければいけない。帽子を被るか入口で貸してくれる紙で作った小さな帽子(キッパ)を頭にのせる。 |
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<嘆きの壁> 嘆きの壁の北側に男性用の祈祷所がある。この建物の天井のアーチは、神殿の丘と谷向こうの町を結んでいた古代の橋の一部であり、ウィルソン・アーチと呼ばれる。右写真は、真上から見下ろした発掘が進む壁の地下部分。 |
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<南の壁考古学公園> 糞門を入ってすぐ右手にある南の壁の発掘現場。左の壁に残る突起部は、イエス時代の神殿と谷をつないでいた橋の跡で、ロビンソン・アーチと呼ばれる。上の方にエルアクサ・モスクのドームが見える。 |
<死海写本館> イスラエル博物館のメインの展示館。洞窟をイメージした館内には、クムランで発見された死海写本が展示されている。ユニークな建物の外観は、写本の入っていた壷のふたをもとにデザインしたもの。 |
<ヤド・バシェム> エルサレムの西ヘルツェルの丘にあるホロコースト記念館。第2次世界大戦中にナチスによって虐殺された600万人のユダヤ人を記念し記憶するために建てられた。”ヤド・バシェム”とは、ヘブライ語で「記念と記憶」という意味。歴史博物館(左写真)にはホロコーストに関する写真や遺品が展示されている。右写真は記憶のホール。 |
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<ヤド・バシェム> 庭園にはユダヤ人をナチスから救った「異邦の義人」を記念した植樹がされている。写真は日本のシンドラーといわれる杉原千畝さんの記念樹。右写真は、コルチャック先生と子どもたちのモニュメント。 |
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<エルサレム郊外> ヤド・バシェムから望むエン・カレム方面。緑深き山里という感じ。 |
<アララット山> 帰りの飛行機から見えたトルコのアララット山。ノアの方舟が漂着したと伝えられる。 |