☆エルサレム (2) <ヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会>
●ヴィア・ドロローサ…イエスが、ローマ総督であったピラトに死刑の宣告を受けてから、十字架を背負ってゴルゴタの丘まで歩く道がヴィア・ドロローサ(悲しみの道)である。ヴィア・ドロローサは、ピラトの官邸からゴルゴタのあった現在の聖墳墓教会まで全長約1km、旧市街の中に全部で14の留(ステーション)がある。私たちもイエスの歩んだ道をたどった。
●聖墳墓教会…イエスが磔刑に処せられたゴルゴタ(しゃれこうべ)の丘と考えられている場所に建てられた教会。336年にローマ皇帝コンスタンティヌスの母で、熱心なキリスト教徒であったヘレナによりこの地に最初に教会が建てられた。その後、ビザンチン時代、十字軍時代、そして19世紀の各時代に造られたいくつかの教会が寄り集まった大建造物が現在の聖墳墓教会である。内部は大きく2つの部分から成る。中央のバジリカであるマルテュリオン(殉教聖堂)とイエスの墓があるアナスタシス(復活聖堂)である。さらに地下には聖ヘレナ聖堂がある。また教会の内部は、ローマカトリック、アルメニア、エジプトのコプト、ギリシア正教などの各派によって区分管理がなされている。
<ヴィア・ドロローサ> 第2留「鞭打ちの教会」のステンドグラス。左は、縛られるイエス。さらに、茨の冠をかぶせられ、ローマ軍の兵士に鞭で打たれた。右は、イエスに死刑を言い渡した後で手を洗うローマ総督ピラト。 |
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<ヴィア・ドロローサ> 第2留。ここでイエスは十字架を背負わされ、ゴルゴタへ向かって歩き始めた。 |
<エッケ・ホモ・アーチ> 「エッケ・ホモ」とは、ラテン語で「見よ、この人を!」の意で、ピラトがイエスを指して言った言葉である。このアーチは、ローマのハドリアヌス皇帝がユダヤの反乱を鎮圧した記念に建てた3重の凱旋門の一部が残ったもの。 |
<ヴィア・ドロローサ> 第3留、イエスが十字架の重みに耐えかね最初に倒れた場所。右写真は、第3留のあるアルメニア・カトリックの小聖堂の内部。 |
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<ヴィア・ドロローサ> 左は第4留、母マリアが十字架を背負ったイエスを見たところ。アルメニア人の「苦悩の母マリアの教会」がある。右は第5留、クレネ人シモンがイエスに代わって十字架を背負ったところ。 |
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<ヴィア・ドロローサ> 左は、イエスが手をついた跡と伝えられる壁。右は第6留、ベロニカという女性がイエスの顔をハンカチで拭った。 |
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<ヴィア・ドロローサ> 左は第7留、イエスはここで2度目に倒れた。ここに審きの門と呼ばれる城外に抜ける門があり、そこの敷居につまずいたとされる。また、この門の上にイエスの罪状書きが貼り付けられたといわれている。右は、第7留のフランシスコ修道会の小聖堂の内部。 |
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<ヴィア・ドロローサ> ヴィア・ドロローサを十字架を担ぎ、イエスの身に起こったことを黙想しながら行進する信者たち。 |
<聖墳墓教会> 聖墳墓教会の入口。入ってすぐ右にある急な階段を上ったところが十字架の立てられたゴルゴタである。ヴィア・ドロローサの第10留から第13留まではここにある。 |
<聖墳墓教会> 第10留、イエスは衣を脱がされた。第11留(左写真)、ここで十字架に釘付けされた。第12留(右写真)、イエスは十字架上で息を引き取った。ギリシア正教会の祭壇がある。 |
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<聖墳墓教会> 左は第12留の祭壇の下、磔になったイエスの十字架が立てられた場所。穴に手を入れて中の岩にさわることができる。右は第13留、イエスは十字架より下ろされ、母マリアはイエスの亡骸を受け取った。マリアの像がある小祭壇。 |
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<聖墳墓教会> 左は十字架降架のモザイク画。右写真の畳1枚ほどの赤い大理石板は、十字架から下ろされたイエスの亡骸に香油を塗った岩とされている。 |
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<聖墳墓教会> 第14留、イエスは墓に納められた。ヴィア・ドロローサの終点であるイエスの墓を覆うように立てられた聖堂。入口には行列ができている。右写真は、聖堂の中にあるイエスの墓。 |