☆エルサレム (1) <シオンの丘、オリーブ山、ゲッセマネの園>
●シオンの丘…旧市街の南西、シオン門の外にある一角。第二神殿時代に祭司や貴族が多く住んでいたところ。この丘には、ダビデ王の墓や最後の晩餐の部屋、マリア永眠教会、鶏鳴教会などがある。
●オリーブ山…エルサレムの東に位置する丘陵の一角、標高は825m。山腹はダビデ王の時代からユダヤ人の墓地となり、さえぎるものがないので旧市街の絶好の展望台となっている。イエスはこの山を越えてエルサレムに入城し、十字架にかけられる前夜この山の麓で祈った後に捕らえられた。やがて復活した姿を弟子たちに現し、昇天したのもこの山の頂上からと伝えられる。
●ゲッセマネの園…オリーブ山の麓にある庭園。ゲッセマネとはヘブライ語で油絞りを表す。人々の不信仰によって追いつめられたイエスが血の汗を流し、神の前に祈りを捧げたといわれる場所である。現在ゲッセマネには、イエスがここで祈ったという岩を守るように万国民の教会が建てられている。
<エルサレム旧市街全景> オリーブ山から旧市街を一望する。手前の森が神殿の丘であり、黄金門や岩のドーム、エルアクサ・モスクが見える。その奥には、聖墳墓教会のドームも見える。 |
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<シオンの丘> オリーブ山からシオンの丘を望む。右上に大きなマリア永眠教会、左端に鶏鳴教会が見える。 |
<ダビデ王の墓> シオン門からすぐのところにダビデの墓と伝えられる石棺があり、ユダヤ人が祈っている。石棺は、ビロードの布で覆われている。 |
<最後の晩餐の部屋> イエスが弟子たちと最後の晩餐(過越しの祭りの食事)をしたといわれる部屋。また、この部屋は、イエスが死んで五旬節目の日に弟子たちに聖霊が降りた「ペンテコステの部屋」とも呼ばれる。現在の建物は十字軍が建てたもの。 |
<オリーブ山の教会> オリーブ山の中腹にある教会。右の涙の形をした教会は、主の涙の教会。イエスがここでエルサレムの滅亡を予言し涙したといわれる。左の金色のたまねぎ形の屋根をもつ教会は、ロシア正教のマグダラのマリア教会。 |
<ゲッセマネの園> ゲッセマネの園には、イエスの時代から受け継がれてきたオリーブの古木が残っている。 |
<万国民の教会> ゲッセマネの園のすぐ隣に万国民の教会、別名苦悶の教会がある。現在の建物は1919年に再建されたもの。正面を飾るモザイク画がとても美しい。 |
<万国民の教会> 祭壇の上のモザイク画は、ゲッセマネの園で岩にもたれて祈りを捧げる「苦悶のキリスト」を表す。祭壇の前の岩は、モザイク画に書かれている、イエスがそこで祈った岩といわれている。 |
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<万国民の教会> 教会内部のモザイク画。左は「ユダの接吻」、右は「イエスの逮捕」の場面。 |
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<鶏鳴教会> ゲッセマネの園での祈りの最中にイエスは捕らえられ、大祭司カヤパの屋敷に連れていかれた。鶏鳴教会は、カヤパの屋敷跡と伝えられる場所に建てられている。左写真の石段は、2千年前のものであり、イエスが歩いたまさにその道であると考えられる。右写真は、教会の地下の牢獄跡。イエスはここに留置されて最後の一夜を過ごし、そして総督ピラトのもとに連れていかれた。 |
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<鶏鳴教会> 屋根に風見鶏を頂くモダンな鶏鳴教会。弟子の一人ペテロが、イエスの「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」という言葉どおり3度主を否んだのもこのカヤパの屋敷である。 |
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<鶏鳴教会> 鶏鳴教会の祭壇。 |
<マリア永眠教会> シオンの丘でひときわ目立つ大きな教会。聖母マリアを祭って1910年に建てられた。 |
<マリア永眠教会> 左は聖母子のモザイク画。教会の地下には、桜の木と象牙で作られた永眠するマリアの像が横たわっている。 |
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<神殿の丘とオリーブ山> 鶏鳴教会は、シオン門の東の松林に囲まれたところにあり、岩のドームやオリーブ山など旧市街の南東部を一望することができる。 |
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<ヒンノムの谷> 鶏鳴教会からエルサレム南部を見渡す。左手遠くの丘に、パレスチナから侵入するテロリストを防ぐ目的でイスラエルが建築中の分離壁(拡大写真)が見える。 |