☆死海 <クムラン、エンボケック、マサダ>
●クムラン…死海の北西岸にある紀元前130年頃に最も繁栄したクムラン教団と呼ばれるユダヤ教の一派の共同体の遺跡。1947年に最初にこの付近の洞窟で発見された壷に納められた600巻を超える巻物は、紀元前3〜2世紀の聖書の筆写であり、「死海写本」と呼ばれている。20世紀最大の考古学的発見とも言われた。
●エンボケック…死海の南西岸にあり、ホテルが建ち並ぶ一大リゾート地。死海は、南北78km、東西18km、西側の半分がイスラエル領内にあり、東側はヨルダンである。シリア・アフリカ地溝帯の中にあり、世界で最も低い地点(海面下398m)である。ヨルダン川が流入するが、流れ出る川がなく、また強烈な日照りのために水分が蒸発し、塩分の濃度は35%と普通の海水の10倍にもなっている。海水はミネラル分を多量に含み、美容や健康にも良いのでエステや皮膚病などの治療に来る人も多い。
●マサダ…死海の沿岸にある聖書にも出てくる要塞の遺跡。紀元70年エルサレム陥落の後、ローマに対抗する約960人の女性や子供を含むユダヤ反乱軍がマサダに立てこもり、ローマ軍と戦い続け、最後は数人を残して自決の道を選んだ。そしてその後2千年の間ユダヤ人は世界を流浪することとなった。マサダは、ユダヤ民族結束の象徴となっている。
●ソドム…死海の南端にある伝説の地名。旧約聖書によると、アブラハムの時代に、ソドムとゴモラの人々は堕落し、神の怒りを買った。神の火で焼かれる直前、ロトとその妻と二人の娘は神に許されて逃れた。「逃げる時には決して振り返ってはならない!」という神の命令に背いてロトの妻が振り返ってしまい、その瞬間に塩の柱となった。
<ヨルダン渓谷> ヨルダン川の対岸のヨルダン側を望む。ガリラヤ湖から死海まで真南に流れるヨルダン川はヨルダンとの国境となっている。また、ヨルダン川に沿って走る国道は、いわゆるヨルダン川西岸(ウェストバンク)と呼ばれるパレスチナ自治区内を通る。ただし国道は、イスラエルが支配している。 |
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<クムラン> クムラン遺跡より望む死海(左写真)。対岸は、モーゼゆかりのヨルダンのネボ山の辺り。ワジ(水無川)の岸の崖にある洞窟(右写真)は、死海写本が発見された洞窟の一つ。 |
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<エンボケック> 死海の対岸ヨルダンから昇る朝日(左写真)。ホテルのプライベート・ビーチでの浮遊風景(右写真)。温水プールのような水温だが、水はどろりとして重々しい。身体に生傷があるとヒリヒリして非常に痛い。また海底には、直径1〜2cmの金平糖のような形の塩の結晶が層をなしていて、歩くと足の裏が痛い。 |
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<マサダ> 遠くから見ると、四方が絶壁で頂上が平らで軍艦島のように見え、まさに天然の要塞である。高さは400mあり、頂上で海面とほぼ同じ高さである。 |
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<マサダ> 死海側からはロープウェイで頂上まで登ることができる。右の写真は、頂上北側にある倉庫群の跡。他に、貯水槽等の大規模な給水施設やローマ式浴場、シナゴーグの跡などが残っている。 |
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<マサダ> 北側の崖にある三段式の宮殿の跡。ヘロデ王が建てた。下にはローマ軍の陣地の跡が見える。 |
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<マサダ> 左の写真は、北の宮殿の一番下の段。右は、窓(?)から死海を望む。高度感がある。 |
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<マサダ> 西の宮殿の床に残る色彩豊かなモザイク画。 |
<ソドム> 死海の畔にある岩塩でできている「ロトの妻の柱」。アラビア服をまとった婦人の姿に見える。 |
<ユダの荒野> ユダの荒野とは、死海の西側からエルサレムにかけて広がる乾燥地帯。死海とエルサレムとの距離は20kmほどであるが、標高差は1200mもある。そのため、西の地中海から来る雨雲も途中で消滅してしまう。ワジ(水無川)は、山に雨が降った時だけ水が流れ川となる。少量の雨でも時には鉄砲水になることがある。 |