集安 −高句麗の都城と古墳群ー

集安は、吉林省南部に位置し、鴨緑江をはさんで北朝鮮と接する国境の町。3世紀から約200年の間高句麗の都が置かれ、政治、文化の中心地であった。高句麗は、紀元前1世紀から7世紀にかけて、現在の中国東北地方から朝鮮半島北部にかけて栄えた王国で、新羅、百済とともに三国時代を形成した。集安には、高句麗時代の城址や多数の古墳が残り、これらは2004年に北朝鮮側の遺跡と同時に世界遺産に新しく登録された。

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<丸都山城>

南面城壁の瓮城跡。ほとんど崩れている。

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<丸都山城>

瞭望台と呼ばれる見張り台の跡。

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<山城下貴族墓区>

丸都山城の下にある古墳群。

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<国内城>

町なかに残る城壁の石垣。

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<洞溝古墓群の禹山墓区>

五かい墳の5号墓。藁でおおわれている。

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<洞溝古墓群の禹山墓区>

四神墓。石室の4面に、青龍、白虎、朱雀、玄武の壁画が残る。

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<将軍塚>

巨大な岩を立て掛けて墓が崩れるのを防いでいる。上部に石室の入口が見える。

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<将軍塚>

将軍塚の隣にある側墳。将軍塚の埋葬者の妃の墓と言われている。

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<好太王碑>

ガラスで囲われてしまい、文字を読み取るのはむずかしい。

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<太王陵>

好太王碑の西にあり、好太王の墓と言われる。かなり崩れてしまっている。

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<鴨緑江>

右側が北朝鮮、左側が中国。

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<鴨緑江>

遊覧船から見る北朝鮮の村落。

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<鴨緑江>

船は北朝鮮側の岸辺まで近寄り、畑で仕事をする人や船を追いかける子供たちまでよく見えた。

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